大阪地方裁判所堺支部 平成8年(ワ)1458号 判決 1998年4月28日
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金五六二万〇二〇〇円及びこれに対する平成八年八月一七日以降支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 主文一、二項同旨
2 仮執行免脱宣言の申立
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、次のとおり郵便局に七口の定額郵便貯金をしていた。
預入日 金額
平成三年三月四日 金五〇万円
平成四年三月一〇日 金五〇万円
平成四年七月二三日 金三〇万円
平成四年一二月一七日 金五〇万円
平成五年七月一日 金一五〇万円
平成五年九月一六日 金一二〇万円
(ただし、平成五年九月一六日に預け入れられた一五〇万円から平成六年六月二九日に払い渡された三〇万円と利息を控除した残額である。)
平成六年二月九日 金五〇万円
合計 金五〇〇万円
2 平成八年八月一六日に、利息を含めて本件貯金の全額である五六二万〇二〇〇円を、浜寺郵便局が、払い渡した。浜寺郵便局は、届出印と異なる印で本件貯金の払戻し請求に応じた。
3 本件貯金の払戻し手続をしたのは、当時、原告の息子の妻であった乙川春子(以下「乙川」という。)である。乙川は、原告の息子が原告から預かっていた原告の住居の鍵を用いて、原告の留守に原告の住居に無断で入り、本件の定額郵便貯金の通帳と原告の年金手帳を盗み出した。乙川は、原告の年金手帳の生年月日部分を、乙川自身の生年月日に近い日付に改竄し、右の年金手帳を身分証明に利用し、原告になりすまして、定額郵便貯金の届出印を変更し、払戻し手続をした。
4 被告は、本件の払戻し請求に特異な点が多々あったのであるから、その手続には、慎重さが要求される。預金の預かり者として、届出印と異なる印鑑で預金の払い渡しをしたことや、改竄した年金手帳を見抜けずに、乙川を原告と誤って、払い渡しをしたことに過失がある。右の改竄部分は、容易に細工がしてあることがわかる。一方、原告には、全く過失がない。
5 よって、原告は、被告に対し、債務不履行または国家賠償法一条に基づき、被った損害金五六二万〇二〇〇円及びこれに対する右払い渡しの翌日である平成八年八月一七日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否等
1 請求原因1、2、3を認める。
2 同4について争う。
被告の担当者は、本件貯金の払い渡し手続において、法令に定める正当な権利者であることの確認手続を履践して、払い渡しており、手続に違法な点はない。
年金手帳が改竄されたものであることを看過したとしても、その改竄部分や形状及び改竄方法に照らし、相当な注意をしても右改竄を発見することは難しい。本件においては、請求人の改印届出が正当なものであることを疑うに足りる事情は他にないから、正当な権利者であることの確認手続に過失はない。
浜寺郵便局が行った本件貯金の払い渡しは、郵便貯金法二六条による正当な払い渡しとして、有効である。
第三 判断
一 争いのない事実及び証拠(甲一、二、三(但し生年月日の部分については、変造文書である。)四、五、八~一〇、乙一の1(但し、原告作成とは認められない。)、一の2、二、三、四、五、六、証人高曽学、原告本人)によれば、次の事実が認められる。
郵便貯金法五五条は、定額郵便貯金の払戻しについて、貯金証書との引換えによる方法を定め、また、法二三条三項は、預金者が届出印章を変更することを認め、その手続について、郵便貯金規則二三条は、郵便局の交付する用紙により、改印届出書を作り、これに印鑑を添えて通帳または預金証書とともに郵便局に提出しなければならないとしている。もっとも、右改印届出前に貯金の全部払戻しを請求するときは、払戻金受領書又は預金証書に印章変更の旨を記載して、その届書に代えることができる旨定めている(規則九七条、六六条の二)。そして、法二五条一項、規則三四条に基づき、払い渡しの事務処理を迅速かつ正確に行うため、郵便貯金取扱手続(郵便局編)(平成四年三月三〇日郵貯業第四八号通達)が定められており、同通達七条一項は、郵便貯金の払戻しや印章変更等の請求がなされた際、一定の場合には、質問又は証明資料の提示もしくは委任状の提出により、右請求等をする者が正当な権利者であるかどうかを確認することを規定し、その具体的な確認手続については、まず、請求等を受けたときの状況に応じて、適切な質問をし、右質問によっても正当な権利者であることの確認ができないときに証明書類の提示を求めることを要求している。そして、法二六条は、同法及び同法に基づく省令に規定する手続を経て、郵便貯金を払い渡したときは、正当な払い渡しをしたものとみなす旨規定している。
また、郵便局には、部外者犯罪の防止等の目的から防犯カメラ装置(以下「防犯カメラ」という。)が設置され、その取扱に関し、通達(「防犯カメラ装置(普通郵便局窓口用)の取扱について」(平成七年六月二二日貯業第八八号)が定められている。右通達によれば、面識のない者から払戻し等の請求がなされた場合で、同通達が定める一定の場合には、ひとコマ撮影をすることとされている。右通達に基づき、実際の郵便貯金受払業務においても、貯金の払戻し等の請求者が法令に定める正当な権利者であることの確認手続がなされた場合であっても、通達が定めている前記場合には、万一の部外者犯罪に備えて、防犯カメラによるひとコマ撮影が行われている。
浜寺郵便局が本件貯金を払い渡した経緯は次のとおりである。
平成八年八月一六日午前一一時四〇分、浜寺郵便局において、原告になりすました乙川が、本件貯金の払戻し請求をしたいが、届出印を紛失した旨述べたところ、窓口係員は、本件貯金の正当権利者であることの確認をするための証明文書の提出を求めた。乙川は、生年月日を改竄した原告の年金手帳を提示した。係員は、右年金手帳を見て、年金手帳の氏名と本件郵便貯金証書の名義が同一であることを確認した。乙川の真実の生年月日である昭和四六年一二月一四日(甲四)と年金手帳に改竄して記載された月日とは近く、その歳格好からみて、乙川が原告であることについて、疑念を抱くべき事情はなかった。
係員は、乙川の提出した郵便貯金払戻金受領証(届出印とは別の印による印影が顕出されている。)の右余白部分に「改印」と記載し、年金手帳を見て、右受領書の裏面に、年金手帳に記載されている厚生年金保険の記号番号「<略>」と氏名・生年月日の「甲野花子 47・12・1」を記入した。また、係員は、貯金の全額払戻し請求の場合で通帳の印影と受領書の印影が相違するときは、念のために防犯カメラでひとコマ撮影をするように上司から指導を受けていたので、二回にわたり、防犯カメラで本件貯金の払戻し請求人を撮影し、その旨を受領証の裏面の余白に「11・38<カ>」及び「11・43<カ>」と記載した。数字は撮影時刻であり、<カ>はカメラ撮影したという意味の略記号である。
したがって、本件においては、法令で定める正当な権利者であることの確認手続を履践した上で払い渡したものであって、そのとられた手続は特に違法な点はない。
浜寺郵便局では、一日平均、改印の届出が約五件、改印と同時の払戻し請求は一件程度はあり、本件の払戻し請求は、特別珍しいものではない。
二 ところで、請求人が提示した正当な権利者であることを証明する年金手帳は、改竄されたものであることは前記のとおりである。右年金手帳の改竄部分は、生年月日欄であり、「昭和7年」の「7」の前に、黒色鉛筆で、「4」と加筆したうえ、「昭和7年12月1日」の「7」「12」「1」も同様に黒色鉛筆でなぞられている(甲三、一〇)。その事実について、指摘を受けて、注意深く確認すれば、鉛筆でなぞられていることは容易にわかる。しかし、鉛筆でなぞられている部分と加筆された部分の判別は、見ただけでは容易ではない。原告は、改竄された年金手帳を見て、すぐにその改竄の事実に気づいた旨供述するが、原告にとっては、自分の生年月日が、そうでない生年月日に変更されていたのであるから、改竄の事実に気づくのは容易である。しかし、そのような、記載事項に誤りがあることに気づく予備的知識のない者にとっては、鉛筆でなぞられていること以外は、不自然さに気づくきっかけがない。さらに、鉛筆でなぞられているからといって、変造されていると、直ちにわかるわけでもない。しかも、生年月日欄の記載は、印影のように、偽造変造されたものでないかを、慎重に確認対象する部分ではなく、本人の同一性を確認するための、手段の一つに過ぎない部分である。そうすると、本件の変造に気づくのは困難で、気づかなかったことをもって過失があるとはいえない。高額な金額を、全額一度に引き出していることや、改印と同時に引き出されていること、改印された印鑑が原告の姓が表されているのかはっきりわからないこと(乙一の1)、引き出された郵便局が、預け入れをした郵便局とは異なる遠方の郵便局であることを考慮に入れれば、正当な権利者であることの確認には慎重さが要求される面があるとはいえるが、右の評価を左右するほどの事情とはいえない。
なお、乙川が年金手帳を改竄したことは、当事者間に争いがなく、証拠上も明らかである。被告の過失の有無を判断する上で、乙川が、本件通帳と年金手帳をいつ手に入れたかは関係がない。
三 以上のとおりであり、本件の預金払戻し手続には、係員が法令に規定する手続を経、かつ、払戻し請求人が正当な権利者であると信じ、そう信じるにつき過失がないということができる。したがって、原告の請求は理由がないので、主文のとおり判決する。